四月は君の嘘をクラシックで振り返る

音楽未経験者のオタクが西洋音楽史を調べてクラシック通を目指すブログ

エピローグは最終回にあるとは限らない。 〜革命のエチュード(ショパン)〜

 

作曲家

 

f:id:shigatsuclassic:20150321145438j:plain  フレデリック・ショパン


作曲家、ショパンエチュードについては、過去記事参照でお願いします。

 

shigatsuclassic.hatenablog.com 

shigatsuclassic.hatenablog.com

 

作曲のエピソード   

実は「革命」の作曲には、超有名なエピソードがあります。

 

ショパンは20歳くらいのとき、故郷のワルシャワから上京します。

その直後、ワルシャワは起こした革命に失敗します。
結果として、ポーランド独立軍は粉砕されたことが知らされます。

これに激高したショパンは「革命のエチュード」を作曲した。

これが一般的な エピソードです。

 

しかしこれは真実ではないと考えられています。
(正式には確証がない、ですね)

というのも、この曲の作曲の時期は明らかになっていないのです。


また、ある説には

音楽の構造上、革命のエチュードで表現してるのは、
ワルシャワ陥落による「怒り」ではない
というものがあります。

まぁ真実ではないという確証もないみたいですが…

 

なぜアニメでこの曲が選ばれたか?

アニメでは、相座武士が演奏します。
この直前まで、武士はスランプ状態に陥っていました。

しかしこの曲で、今の公生と公生の目指す道を理解し、吹っ切れることになります。

この4話前に、井川絵見が
スクリャービンの「エチュードOp8-12」を演奏します。

一致ではないですが、
ここでの井川絵見と相座武士の心境には似たものがあるのではないかと思います。

※井川絵見の演奏の考察はこちら

shigatsuclassic.hatenablog.com


上記の記事で私は、

井川絵見は 革命的なこと を行ったのではないかと言いましたが

 

その一方で相座武士は

革命そのもの を行ったのではないかと思います。

 

2人とも、公生との再会の時点で、
公生はあいかわらずヒューマン・メトロノーム(楽譜を超忠実に再現)だと思っていました。

しかし、公生の演奏(ショパン エチュードOp25-5)を聴き、
その前提が破壊されます。

 

その結果

井川絵見は、今の公生は自分と同じ道の上にいることを知ります。

そして、先にいる公生を追いかけることを決意します。
この考えの変化が「革命的なもの」です。

 

一方

相座武士は、今の公生は、武士が憧れた
ロボットみたいだろ、超合金みたいだろ!」な公生ではないことを知ります。

さらに、公生と自分とでは演奏をする理由(目指すところ)が違うことにも気付きます。

その結果、自分と公生は違うことを悟り、

己の道を進むことで公生・絵見と戦うことを決意します。

この絵見とは反対の道に進むことが「革命そのもの」だと考えることが出来ます。

最終回直後に、、、

絵見・武士のその後が見たかった…
というつぶやきがとても多く見ましたが
私自身もそう思ってましたが


このように考えると、
 井川絵見のスクリャービン
 相座武士の革命のエチュードこそが

彼らの今後を示唆するエピローグのようなものなのではないかなと思います。