革命のような何かがそこにある 〜エチュードOp8-12(スクリャービン)〜
作曲家
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン
ロシアの作曲家・ピアニスト
スクリャービンの一生は記事にして書くには資料が足りませんでした。。。
というのもスクリャービンは43歳で亡くなってしまったからです。
また、かなり特殊な作曲法をしていたようで、文献のほとんどは、
そっちの方に重心が置かれています。
スクリャービンのエピソード
・手が小さい
「手が小さい」ということはピアニストにとってキツいことだったが、
鍵盤が届かなそうだもんね…
豊かな音響とペダルの効果的な使用に定評があった。
・練習のしすぎで…
音楽院卒業直前に、過度な練習がたたって右手に運動麻痺の症状が出て、
その後遺症に生涯悩まされることになる。
しかし、金賞第2位の結果で卒業する。
・宗教家な一面も…
当時のロシアは、ロシア象徴主義の芸術運動が盛んだった。
有力な推進者と知り合いだったスクリャービンは、宗教哲学協会に参加し、交流を深めていった。
曲
スクリャービンの音楽は、初期・中期・後期に分類されやすいです。
初期:ショパンを代表する、ロマン派風の作曲
中期:属七、属九という組み合わせの和音にハマる。
ちなみに宗教活動に参加しだしたのもこのころ。
後期:独自の和声システムを確立する。
曲の印象
時間が短いです(笑)
15秒しか使われてませんでした。
それでも楽曲のインパクトはかなりありましたね。
井川絵見の調子がいい(覚醒した?)ことを象徴するシーンで使われました。
それでも、もしかして他にも意味があるんじゃないかなと思って調べてみました。
なぜアニメでこの曲が選ばれたか?
この曲はスクリャービンの初期に作曲されたものです。
前述しましたが、当時のスクリャービンはショパンやシューマンのようなロマン派を意識した作曲をしていました。
その中でもこの曲は
革命のエチュード(ショパンのエチュードOp10-12)を意識しています。
そもそもスクリャービンのエチュードが12曲なのもショパンを意識したものらしい。
アニメにおけるこのシーンで、
演奏者、井川絵見のピアノを弾く理由が変わっていることに気づいた方もいるかと思います。
「木枯らしのエチュード」を弾いた際、絵見は
私は有馬公生を否定するためにピアノを弾いていると言っていましたね。
このときは、(楽譜に忠実ではない)昔の演奏に
戻ってきて欲しいという思いを込めて弾いていました。
shigatsuclassic.hatenablog.com
一方この演奏では井川絵見は以下のようなことを言っています。
待ってろ、有馬
ううん、振り返るな。すすめ、ずっと先に
私が必ず追いついてやるから。
「追いつく」という言葉を使っている以上、公生は井川絵見の先にいるのでしょう。
また、進む道が同じであることも伺えます。
つまり彼女は前回の演奏で
ヒューマン・メトロノーム(楽譜に超忠実)な演奏ではなくなった彼を見て、
進むべき道が同じになったと同時に、
彼の方が先を行っている(何においてなのかは妄想がはかどるところですが…)
と思っているのでしょう。
そんな価値観の変化に「革命風なもの」が起きたように感じます。
その表現として、「革命風」な曲が使用されたのかもしれません。